パリの街  


  

パリの街


  

 一八七一年のパリ・コミューンの翌日、アルチュール・ランボオは、偉大な革命の首都パリをこう歌った。
 詩人たちの熱狂と讃歌は、その背後にいる人民の熱狂と情熱の表現であり、反映である。 ヴィクトル・ユゴーをはじめ、多くの詩人たちがを支持し、すでに詩を「歌う武器」としてたたかい、あるいはじっさいに銃を執って、バリケードでたたかった。 しかし、反動のヴェルサイユ政府の側には、ひとりの詩人もいなかったのである。 ヴェルサイユ政府には、「秩序を維持する」のに、シャスポー銃と機関砲しかなかった。だが機関砲も、人民の声や詩人たちの歌ごえを抑えつけることはできなかったのである。