パリ・コミューンの詩人たち

   インタナショナル


                                     

                                     


  コミューンの評議員、詩人ウジェーヌ・ポティエも、むろんバリケードのうえで闘った。 しかし、コミューンが敗れ、同志たちが「連盟兵(フェデレ)の壁」で虐殺された後、なおもヴェルサイユ軍の弾圧がつづいた六月、 ポティエは、まだ戦火にくすぶるパリの街なかに身をひそめて、『インタナショナル』を─こんにち、全世界の労働者が歌っている、 あの『インタナショナル』を書いたのであった。彼じしん、逮捕と死とにたえずおびやかされながら・・・。しかも、かれは、この偉大な希望の歌をもって、戦士たちに呼びかけ、はげましたのである。 ・・・
なお、『インタナショナル』の曲が、音楽家ピエル・ドゥジェイテール(一八四八〜一九三二)によって作曲されたのは、一八八八年で、ポティエが死んだ翌年であった。 ・・・
 レーニンは書いている。「・・・自覚した労働者がどの国にやってこようと、運命が彼をどこにつれていこうと、祖国から遠くはなれて、言葉も通ぜず、 知合もなく自分をどんなに他国人だと感じていようと、彼は『インタナショナル』の熟知した旋律によって、自分の同志と友とを見つけることができるであろう。 万国の労働者は自分たちの先進的な闘士、プロレタリア詩人のつくった歌をうたいついで、この歌を世界的なプロレタリアの歌にした。・・・」(大月版『レーニン全集』第十八巻六六六ページ)