「パリ・コミューンの詩人たち」

   さくらんぼの熟れる頃


                                         


 さいごに、クレマンの有名なシャンソンをかかげておこう。この歌は、コミューンの頃、パリでさかんに歌われたもので、こんにちなお歌いつがれているものである。 この歌がつくられたのは一八六七〜六八年頃といわれる。

これは、さくらんぼの熟れる頃にことよせた恋の歌であり、春の歌である。 前にも書いたように、クレマンは一八八五年、この歌を収めた詩集刊行に際して、コミューン最後のバリケードでめぐり会った野戦病院付看護婦ルイズに、この歌を献じた。 こうして、この歌はいっそう有名なものとなる。一九六六年にひらかれた「モンマルトルの女性」展のカタローグはこう解説する。 「『さくらんぼの熟れる頃』は、バリケードの守備隊にさくらんぼを運ぶ若い娘から、クレマンが想を得たのであった。・・・・」
 また、クレマンの伝記作者トリスタン・レミイは書く。
「この物語(ルイズとめぐり会ったという)は、伝説であろうとなかろうと、うつくしい。われわれはこの物語を忘れないだろう。この歌は、この逸話のおかげで、パリ・プロレタリアートの不幸な英雄時代の中に、その場所を与えられるのである」
 『さくらんぼの熟れる頃』には、そのような伝説的な意味あいを与えられるだけのものがあるようである。
 まことに、パリ・コミューンは、短くて酷(むご)い春であり、「さくらんぼの熟れる頃」だったのである。