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2008年8月31日
「大島博光記念館ブログ」を開設しましたので、「短信」のページはこのブログに引き継ぐこととしました。  
千曲川
「大島博光記念館開館にあたって」
 とうとう大島博光記念館開館の日を迎えることができました。この日のために多くの皆様にご支援とご協力をいただきました。本当にありがとうございました。
 大島博光の亡くなったおりに、博光の詩碑を千曲川べりに建てたいとの手紙を長野詩人会議からいただきました。これが発端となり、大島博光の詩を読む会などで交流を 深めるなかで大島博光記念館をつくろうという運動になり、全国の多くの方々の賛同を得て実現に至りました。
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 大島博光の詩の精神、人々を励まそうと愛と希望をうたい続けた詩の精神が大きな力を持っており、これをひろく人々に触れていただけるようにする必然があったことが 記念館の根拠です。また、長野詩人会議と小林園子という組織者がいたことが夢を実現する原動力になりました。
 大島博光記念館は大きな希望と力を生み出しました。いよいよこれから本格的な活動がはじまります。 全国の人々に博光の詩の精神を拡げるために皆様のいっそうのお力添えをお願い申し上げます。
 2008年7月13日  大島博光記念館 館長 大 島 朋 光
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2008年6月5日
「大島博光記念館をつくる会ニュース」第4号ができました。 詩人会議の皆さんが見学に訪れたことや記念館建設をめぐる近況、詩集「ひとを愛するものは」が再版されたこと、開館式(7月13日)のお知らせなどを掲載。
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2008年5月20日
島本弘子シャンソンリサイタル を聞きました。武蔵野市民文化会館大ホールにいっぱいの聴衆で、歌もメッセージもすばらしいうえに見た目も美しく、パリの雰囲気が味わえました。 「アラゴンを歌う島本弘子さん」という文章を博光がパンフレットに寄せたのが縁で交流があったようで、告別式のときもお花をいただきました。 楽屋で挨拶しましたら7月13日の博光記念館開館式には別のコンサートが入っていて行けないが、一度松代で歌いたいとおっしゃって下さいました。
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2008年3月30日
「大島博光記念館をつくる会」結成の集いが開かれました。「松代平和うたう会」の合唱 と詩の朗読で始まり、小熊忠二さんが「松代に博光の記念館が出来ることになり、うれしくてたまらない」と挨拶しました。小林園子さんが、 記念館となる現在の建物は「平和祈念館をつくる会」が事務所が借りられずに困難な時期に、大家さんや建設会社の善意のおかげで借りることが出来、 文化活動の場として現在に至っていることなどの経過を話されました。
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2008年3月20日
大島博光記念館をつくる会準備会で「大島博光記念館をつくる会」結成のご案内と趣意書をつくりました。  
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2008年2月24日
大島博光記念館となるレストランK西館の雪景色。
松代を訪問して博光記念館をつくる ための打ち合わせをしました。「大島博光記念館をつくる会」を発足させて運動していくことになりました。
向かいにあるレストランKの運営も考えることになり、中を見せていただきました。
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川中島にある「ひとミュージアム 上野誠版画館」をみさせていただきました。とても素敵な館内で、ホールではコンサートやうたごえ喫茶なども開いています。 横井久美子さんも歌っていました。
上野誠の鳩の版画作品は、人の手で平和の象徴をまもり輝かせていこうと訴えているようでした。この版画館のホームページも 綺麗でさすがでした。 館長の田島隆さんの精力的な活動がわかり感服しました。
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2008年1月20日
博光の2回目の命日を迎えて偲ぶ会を開きました。詩人会議の土井大助さん、三鷹市議の岩田康男さん、長野詩人会議 の小林園子さん、尾池和子さんがお越し下さいました。博光をめぐる思い出話の花が咲きました。埴谷雄高と花屋のこと、小山田二郎とチカエさんのこと、袴田里見のことなど。小笠原貞子と 岩田康男さんとの縁もうかがいました。土井大助さんは詩碑のとりくみを話され、小林園子さんからは松代に博光記念館を作る運動のお話がありました。地元の文化活動の拠点として生きる記念館に したいという素晴らしい構想です。
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2007年12月9日
津田沼九条の会結成一周年記念集会が開かれ、斉藤一好氏(弁護士、「一海軍士官の太平洋戦争」著者)の 記念講演と詩の朗読、合唱などが行われました。
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詩の朗読では博光の「硫黄島」(群読)、ヒクメットの「死んだ女の子」などが表情豊かに朗読され、戦争の悲惨を訴えました。 写真
2007年10月12日
西條八束先生の急なご逝去の報にびっくりしました。 昨年1月の博光の告別式では「私自身 八十歳を過ぎた現在、これからの限られた時間を大島さんにならって、精一杯に生きていきたいと思います」 と弔辞で述べておられましたのに、本当に残念です。
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田中美智子先生の「もっと話したかった、もっと話したかった」との弔電と同じ思いの方は多いと思います。 父はあの世で再会して「やっちゃん、もう来ちゃったの!」と言っているのでしょうか。ご冥福をお祈りいたします。 写真
2007年9月9日
松代の故長谷川健先生のお宅を訪ね、奥様にお話をうかがいました。 長谷川先生は博光の詩の影響もあって早稲田の文学部に入り、詩を通じて終生博光と交流を持ちましたが、数年前に他界しました。
  奥様は新婚当時の博光が近くの馬場町に住んでいてよく訪ねてきたこと、妻静江が幼子を背負って本の販売に走り回っていたこと、 健先生が三鷹を訪ねて帰ってくると静江の話ばかりをしていたこと、松代に博光の記念館を建てたいと言っていたことなどを話して下さいました。
長谷川邸
長野詩人会議の小林さんが同行してくださいました。小林さんは長谷川先生の教え子でもあり、長谷川先生が松代の文化活動の発展を心にかけていたこと、 松代文化ホールの建設のために尽力されたことを話されました。
代官町にある長谷川邸は象山を借景として庭一面を占める大きな池 (泉水池)と広い菜園、白壁の土塀をもち、松代の武家屋敷の姿を今に残していました。
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そのあと「大島博光全詩集」の 「山の村と村のひとたち」で歌われている山すその桑畑を見に行きました 。甥の大島稔さんが案内してくれました。松代温泉の上の山のなだらかな斜面にあり、 詩にあるとおり西向きののどかな山畑でした。
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2007年8月3日
今年の原爆記念日にあわせて鈴木比佐雄等編の「原爆詩一八一人集」が出版されました。ゴーシュロン「ヒロシマの星のもとに」(大島博光訳)が掲載されています。 5月にゴーシュロンに承諾をお願いしたところ次の返事があり、この詩がオペラになっていることがわかりました。
友よ  5月23日水曜日のメールを喜びをもって受け取りました。Hakko Oshimaにしばしば思いを馳せています。もっと彼を知る時間があればよかったと思います。 もちろん、あなたにはお父様の訳詩を意のままにする自由があります。これは彼の所有です。 この詩には注釈を付け加える必要があるでしょう。 これは、この恐ろしい出来事の25周年を記念して書かれました。この詩のテーマは「椿姫」を演じた舞台女優ナカ・ミドリ(仲みどり)の物語です。 この詩は、ドイツの作曲家ウイルヘルム・ニーフによる音楽(フランス語とドイツ語の歌詞)でオペラにもなっていることを書いて下さい。  ジャック・ゴーシュロン Jacques Gaucheron(尾池訳)
原爆詩
2007年6月10日
土井大助さん、尾池和子さんと松代に長野詩人会議をお訪ねして皆さんと語り合いました。
会のあと、千曲川堤の桜堤公園(博光の詩碑建立の候補地)や西寺尾の生家を見て回り、「海津城」「象山地下壕」を案内していただきました。
長野詩人会議
2007年5月
エリュアール「自由」の全体を翻訳した原稿が見つかりました。
以前、北海道の石窪様から全体を翻訳したものを知りたいというお手紙をいただきました。エリュアールに関しては「エリュアール詩選」(1956年) と新日本新書「エリュアール」しか出版していないのでわからなかったのですが、先日整理したとき、エリュアール関連の原稿の封筒に入っていました。 早速これを紹介することにします。
自由
2007年3月
長野詩人会議の機関誌「のろし」59号受贈。
「詩塾3」で「大島博光の戦後詩」と題して「春がきたら」「鳩の歌」「この子らに」などについて論じています。
ほかに森貘郎「大島博光と状況詩」「鳩の版画家と詩人」板倉弘実「詩人大島博光(2)」小林その「詩人の手紙」尾池和子「大島博光語録1」
「のろし」の詩/田畑つる子、渡辺好子、さよ、船橋東、吉岡よし、石関みち子、森貘郎の各氏の作品。
のろし
2007年3月21日 松代
「大島博光を偲ぶ詩と映画の会」

第1部
・合唱 松代平和歌う会 
・詩の朗読「春がきたら」「千曲川の歌」他
・パネルディスカッション「在りし日の大島博光」
森貘郎さんの司会で小熊忠二さん、小林達雄さんたちの話すエピソード

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第2部
・映画「イル ポスティーノ」上映
 詩の力ってすごい!


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2007年3月18日
「解放運動無名戦士合同追悼会」

三鷹市議の岩田さんのお骨折りで解放運動無名戦士の墓に合葬されることになりました。
合同追悼会は毎年パリ・コミューンの記念日の3月18日に開催されます。
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日本青年館での式典のあと、青山墓地まで行進してお墓に献花しました。
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2007年3月8日

「大島博光を偲ぶ詩と映画の会」が松代で開かれます。
□3月21日(水曜・祝日)午後1時30分〜4時 
□サンホール・マツシロ 
主催 長野詩人会議
第1部 大島博光の詩の朗読とパネルディスカッション
第2部 ノーベル賞詩人ネルーダの詩と人々への愛の物語を映画化した「イル・ポスティーノ」上映
ポスター
2007年2月4日
尾池様、お手紙ありがとうございました。 「伺っている間、文字通り董陶を受ける日々でした。土井様が 書くことすべて詩であるか、詩的だったと言われていますが、日常おっしゃることも詩的でした。聞き流すにはもったいない言葉ばかりで、 語録を作る理由となりました。」・・ほんとうに父にとっても尾池さんにとってもこの上ない出会いだったのだと思いました。
「詩の『硫黄島』は、イメージが容易に沸き上がってきて、その悲惨さを喚び起こします」とありましたが、この詩の存在を忘れていました。「博光全詩集」にありました。「・・それは 水もない孤島の灼けた砂のうえ 名も知らぬ草むらのかげで 海の太陽に焼きつけられ スコールにたたかれる おれたち 野ざらしのどくろだ ・・・」なんとなく不気味な雰囲気の詩だと感じていましたが、映画『硫黄島の手紙』をみた今読み返すと、あの島で亡くなっていった日本兵たちの叫びが聞こえてくるような、映画で言いたいことをひと言で言っているような力のある詩だと思いました。
「『詩人にならないのが不思議なくらい美しい』松代、父もスケッチ旅行で佐久あたりからの千曲川を描いていますので、どんなところか一度訪ねてみたいと思っています。」 ・・実は松代に、父の詩の文学館みたいなものを作りたいという夢を描いています。
2007年1月21日
土井様、尾池様 先日は父の一周忌においでいただきましてありがとうございました。思い出話などで楽しい時を持つことができ、父も喜んでいると思います。
尾池さんの書いてくださった「博光語録」で、「エリュアール」と「アラゴン」と「ピカソ」を合本にして出したいと言っていたことがわかりました。 志位和夫委員長のお父様が同じことを言っていました。教師をされた方で私も存じ上げていたのですが、2005年5月に代々木病院で亡くなりました。 博光の詩のファンで、入院中も『ネルーダ」も含めた新日本新書の4冊を愛読していたそうです。 「これらはすばらしい本なのでまとめて1冊にして出版してほしい、みんなに読んでもらえるようにしてほしい」と強く願っていたことをお亡くなりになったあとに志位委員長が見えて私にお話されました。この話を入院中の父に伝えたのですが、自分はもう出す力はないが皆が出してくれるなら出していいという返事でした。私としては父の業績を伝えるものを何か形として残したいと思っていましたので参考になりました。
「硫黄島の手紙」の栗林中将が松代出身で、陸軍士官学校で土井さんの先輩だったというお話でしたので、映画を見てきました。長野の子供たちの歌声が司令部に流されるシーンがありました。予想以上に反戦と人間性を訴える映画だと思いました。 できれば1度、皆さんと松代と千曲川を訪問する旅を企画したいと思っています。今後ともよろしくお願いいたします。
2006年10月
長野詩人会議の機関誌「のろし」58号受贈。
詩塾2「昭和モダニズム詩と大島博光」と題して戦前の『新領土』『蝋人形』から戦後詩への軌跡を森貘郎さんたちが論じています。 「『新領土』の詩人大島博光」、「西条八十と『蝋人形』と大島博光」なども得難い評論。『蝋人形』に掲載された博光「季節はづれの放浪-エスプリ・ヌウボオの道-」を収録。
「木崎湖畔の風-西条八束ご夫妻を訪ねて-」は博光の思い出をうかがう訪問記。
のろし
2006年8月6日
長野市松代町西寺尾の生家を訪ねて博光の弟の洋さん夫婦にお話を伺いました。この家は明治15年に建てられたもので、竣工年を記録した銘板がありました。
seika
昔は養蚕をしていたそうで、養蚕農家を紹介する本に載っているのを見せて下さいました。
「大島博光全詩集」の「山の村と村のひとたち」で養蚕の様子を歌っていましたので紹介します。
yousan
博光の愛した千曲川の弁慶わく付近とポプラ
千曲川
2006年8月6日
長野詩人会議をお訪ねして、森さん、小林さん、河原田先生、ブンゲイ印刷社長にお会いしました。今後も「大島博光の詩を読む会」を続けて会を盛り上げてゆきたいとのお話でした。また板倉弘実さんの「望郷」第3号をいただきました。
noroshi
「望郷」第3号で板倉弘実さんは『のろし』56号の続編として「詩人 大島博光(2)アラゴンの定型詩論─内容において社会主義的、形式において民族的」を書いておられます。大島博光の手紙を紹介しながら、アラゴンのコンミュニスト詩人としての闘いの足跡や博光の定型詩論、ご自身の詩との関わりや「松代大本営地下壕保存の運動」にいたる活動などを論じた18ページに及ぶ力作です。
boukyou
2006年7月7日
「詩人会議」8月号で「特集 大島博光」。
土井大助「大島博光研究・序章」という労作をはじめ、嶋岡晨「大島博光の訳業」、西條八束「大島博光さんをしのんで」、大島朋光「父・大島博光について」、新川和江「少女の日に出会った詩人」、小熊忠二「大島博光氏と初めての出会いの頃」、片羽登呂平「アラゴンの詩を胸に」、山本隆子「春になったら」、タマキ・ケンジ「三鷹時代の大島博光さんと私」、尾池和子「<高み>を心に」、秋村宏「大島博光さんは『波』」といったエッセイ、ジャック・ゴーシュロンの追悼詩「HAKKO OSHIMA」(尾池和子訳)が掲載されています。
noroshi
2006年6月
長野詩人会議の小林さんから機関誌「のろし」57号受贈。
「母なる千曲川と大島博光」と題した追悼特集で、3月に開かれた詩塾「大島博光の詩を読む」の内容、小熊忠二「よみがえる詩人 大島博光」、森貘郎「大島博光の千曲川の詩」、渡辺好子「大島博光さんからのおたより」、板倉弘実「詩人 大島博光」、小林その「長野詩人会議だより」など貴重な文章が盛りだくさん。また、博光「千曲川 その水に」という川風に吹かれるような薫り高い詩を紹介。
noroshi
2006年6月
調布市の中野完二さんから「太極悠悠─日常から見つめる非日常」(時空出版)受贈。
中野さんは詩人で日本ペンクラブ会員、日本健康太極拳協会の副理事長をなさっている方です。この本の中で「教えるとは」と題してアラゴンの「フランスの起床ラッパ」にかかわる文章をかいておられます。高校生の頃、アラゴンのレジスタンスの詩を読んだのが要因の一つとなって文学部に進み、卒業論文は「ルイ・アラゴンの詩における愛について」だったということです。
2006年4月
長野県安曇野の柳沢さんから詩誌「かおす」110号受贈。
特別寄稿の小熊忠二「おもいつくままに─ 一月九日大島博光の訃報から」で詩誌「角笛」をめぐる多くの詩人について、長岡昭四郎「大島博光さんを追悼する」では清沢清志との交流などが書かれています。柳沢さんの「あとがき」でも信州の詩人たちと博光との交流を紹介しています。
2006年3月
長野詩人会議の小林さんから詩塾「大島博光の詩を読む会」のポスター受贈。
松代の長野詩人会議事務所で定期的に博光の詩の合評会を開いてゆくとのことです。
ポスター