基本的なもののオード集 パブロ・ネルーダ 大島博光訳
(1)海へのオード ここ 島のほとりほどに 海が海らしいところはない 彼女はおやみなく 自分から溢れこぼれて いいわ と言ったかと思えば いやと言う いやいやいや と言ったかと思えば 青い波で 白く泡だって いいわ と言い そうかと思えば また猛り狂う波で いや いや と言う 彼女は一瞬もじっとしていることができない 「わたしは海なのよ」とくりかえしながら 彼女は岩に波うちよせて言いよるが くどき落とすことはできない そこで みどりの七匹の犬で みどりの七匹の虎で みどりの七つの海で 彼女は岩をとりまき かい抱き 水びたしにし そして くやしそうに自分の胸をたたきながら 自分の名まえをくりかえすのだ おお 海よ おまえはそうよばれる おお 同志大洋よ 時間と水とを むだ使いするな そんなに揺れうごくな おれたちに手をかしてくれ おれたちは浜べの漁師だ 寒さにふるえ 腹をすかしている おまえはおれたちの敵だ そんな激しくたたかないでくれ そんなに大きな声でわめかないでくれ おまえのみどりの箱をひらいて おれたちの手に みんなにめぐんでくれ おまえの銀いろの贈りものを 毎日の魚を ここでは どこの家でも 魚をほしがっている 銀いろの魚でも 水晶のような魚でも 月のような魚でも いいのだ 地上の 父なる大洋よ おれたちは知っている おまえの名がなんというのか 鴎たちが 浜べじゅうに おまえの名を言いふらしている さあ おとなしくなってくれ たてがみなど 振りたてないでくれ ひとをおどしつけたりしないでくれ 空にむかって そのうつくしい歯を むきだしたりしないでくれ ちょっとのあいだ 自慢話などやめて すべての男に すべての女に すべての子どもに 魚を一匹ずつ くれてやってくれ 大きいのや 小さいのや まいにち やってくれ 国じゅうの 街まちに行って みんなに魚をくばってくれ そのときは 叫ぶがいい 大きな声で叫ぶがいい 働いている貧しい人たちみんなに 聞こえるように かれらが 炭坑の入り口に昇ってきて こう言うように 「みろ なつかしい海がやってきて みんなに魚をわけてくれるぞ」 そしてかれらは 微笑みながら 深い坑道の闇のなかにもどってゆくだろう そして街なかでも 森のなかでも 人びとと大地が 海の微笑を うかべるだろう だが おまえがそうしたくないなら そうするつもりがないなら ちょっと 待ってくれ おれたちは考えなおそう おれたちは何より先に 人間のいろんな問題を 解決しなければならない まず もっとも重大な問題から始めて ほかの問題へと移らねばならない それから おれたちはおまえのなかに飛びこみ 燃える火の刃で 波を切り 稲妻のような馬にまたがって 歌いながら わきたつ泡を乗り越え おまえの腹の底まで もぐりこむだろう 原子の針金が おまえの胴を ぐるぐるととり巻くだろう おれたちはおまえの深い庭に セメントと鋼鉄の 植物を植え おまえの手と足を 縛りつけるだろう 人びとは おまえの肌のうえを 前進するだろう つばを吐きかけながら おまえの木の実をもぎとりながら おまえのうえに馬具をおいて おまえにまたがり おまえを馴らし おまえの魂を支配するだろう しかし そうなるのは おれたち人間が おれたちの問題を 解決したときだ おれたちは すべてを 少しずつ 解決してゆくだろう かずかずの奇跡が起るように 海よ おれたちはおまえに働きかけるだろう 陸よ おまえにも働きかけるだろう なぜなら 魚やパンがみつかり 奇跡がおこるのは おれたち自身の 闘争にかかっているからだ (角川書店『ネルーダ詩集』)(2)パンへのオード パンよ おまえは 小麦粉と 水とでこねられて 火に焼かれて 脹(ふく)れあがる 重苦しそうと思えば 軽やかになり 平たいと思えば 丸くなり おまえはまるで 母親の お腹の まねをする この世の 生命の生成の 干いたり満ちたりを くりかえす パンよ なんとおまえは気安くて しかも奥ぶかいことか パン屋の 白い棚のうえに おまえは幾列にも並んでいる 道具や 皿のように あるいは 紙のように と 突然 生命の 波がおしよせ 酸酵と 火とが結びつき おまえは大きくなり いきなり 子供の背丈のように くちびるのように 乳房のように 大地の丘のように 生命のように ふくれあがる 火熱が上って ゆきわたると おまえは 出来上って 風にさらされる そのとき おまえの黄金の色が定着し おまえのいろんな形がきまる 褐いろの火傷痣(やけどあざ)は おまえの 金色になった 半円形の全組織のうえに 焼け痕として残った いまや 焼きたての おまえは 人間の業となる くりかえされる奇跡となり 生命の意志となる おお みんなめいめいが口にするパンよ おれたちは おまえを恵んでもらおうと 哀願したりはしない 人間は 乞食では ないのだ あやしげな神神や いかがわしい天使たちの前に ひざまづいたりはしない おれたちは パンをつくろう 海からも 大地からも おれたちは 小麦を蒔こう 大地のうえに 星星のうえに すべての人間が めいめい口にするパンは 日ごと毎日 やってくるだろう なぜなら おれたちは ひとりの人間のためにではなく 万人(みんな)のために 小麦を蒔き パンをつくるのだから パンを パンを すべての人民のために パンとともに パンのかたちと味をもつすべてのものを 大地を 美を 愛を 人民のために それらはみな パンの味をもち パンのかたちをもち 小麦粉の醗酵をもつ すべては存在するのだ 分配されるために 与えられるために 殖えてゆくために だから パンよ おまえが人間の家から消えうせようと 人びとがおまえを隠して おまえはいないと言おうと 守銭奴が おまえを金づくで売りとばしたり 金持が おまえを 買い占めたりしようと 小麦が 畑の畝や 土を 探さなくなろうと パンよ おれたちは お祈りなどはしない パンよ おれたちは乞食などはしない おれたちは おまえのために闘うのだ ほかのひとたちといっしょになって 空っ腹をかかえた人たちといっしょになって おれたちは おまえを探しに行くだろう 風のなかを 流れの底までも おれたちは 大地を分配するだろう おまえが 芽をだすことのできるように そして大地も おれたちといっしょに前進するだろう 水も 火も 人間も おれたちといっしょに闘うだろう おれたちは 大地と 万人のためのパンの 征服者として 穂麦の冠をかむるだろう そのとき 生活もまた パンのように 素朴で 奥ぶかいものとなるだろう 数かぎりないものとなり 純粋なものとなるだろう すべてのものが 大地を 生活を 要求する権利をもつだろう こうして 未来のパンは めいめいの口にのぼるパンは 神聖なものとなり 祝福されたものとなるだろう なぜなら それは ひじょうに長くて きびしい 人類の闘争がたたかいとった 成果であるからだ 地上の勝利の女神には 翼がない 地上の勝利の女神は パンを肩にかついでいる─ 大地を解放するために 彼女は 勇敢に 飛び立つ パン焼き女のように 風に吹きあげられて (角川書店『ネルーダ詩集』) (3)原子へのオード 小さな小さな星よ おまえは鉱石のなかに 永遠に埋もれているかに見えた 隠されたおまえの悪魔の火といっしょに ある日 その小さな扉を叩くものがいた 人間だった 一撃で おまえは解き放たれた おまえは世界を見た おまえは町町を走りまわった おまえの大きな光が生活を照らすようになった ・・・ そのとき戦争屋がやってきて おまえを誘惑して言った 原子よ 小さく まるまれ わしの爪の下に横たわって この箱のなかに入れ それから戦争屋は おまえをチョッキのなかに入れた まるでアメリカの丸薬のように そして世界じゅうを旅行して おまえを落とさせたのだ ヒロシマに あけぼのは焼きつくされた 小鳥たちはみな黒焦げになって落ちた ぞっとするような 超人的な懲罰の形(かたち)が立ちのぼった 血まみれのキノコ 大ドーム 煙り・・・・ 死が平行波となってひろがり 子供といっしょに眠っていた母親や 川の漁師や魚たちを襲い すべては灰となった おお 怖るべき気ちがい火花よ おまえの経椎子(きようかたびら)のなかへもどって行け おまえの鉱石のねぐらにひきこもれ ・・・ ふたたび盲目の石にもどれ ごろつきの言うことをきくな 生活や農業に協力し モーターにとって代って エネルギーを育て 星星を豊かにすることだ ・・・ (新日本新書『パブロ・ネルーダ』) (4)夫婦へのオード ・・・ わたしたちはいっしょに歩く 街まちを 島じまを ひび割れたヴィオロンのような 突風の下を さりげなく素朴に いっしょに ひとりの女とひとりの男 ・・・ ひとりでは 女は半分だ 男もひとりでは 半人前の男だ 彼らは 家の半分に暮らし ベッドの半分に眠る ・・・ わたしは愛さない 屋根のない家を 硝子戸のない窓を わたしは愛さない 仕事のない昼を 眠りのない夜を わたしは愛さない 女のいない男を 男のいない女を わたしがほしいのは いままで消えていたのに くちづけが火をともす まるごとの生活だ ・・・ (「夫婦へのオード」においては「まるごとの愛」が声高く歌われる。) (5)単純素朴な人間のオード(抄) ・・・それからわたしはきみの名前を尋ねる きみの街と番地を尋ねる わたしはきみに手紙を書く わたしはどんな人間か どこに住んでいるか 稼ぎはいくらか 祖父(じい)さんはどんな男だったか すると きみにもわかるだろう わたしが 単純素朴な人間であり きみも 単純素朴な人間であるなら もう こみいった複雑なことなど問題でないと ・・・ きみが歩くように わたしも歩く きみが食べるように わたしも食べる きみが婚約者を抱くように わたしも恋人を抱く わたしたちがおんなじだと わかったとき きみの生活とわたしの生活でもって わたしは書く きみの愛とわたしの愛でもって 書く それから きみとわたしとは違ってゆく 古い友だちのように きみの肩に手をかけて わたしはきみの耳に語りかけるのだから くよくよするな われらの時代がやってくる 来たまえ わたしといっしょに来たまえ みんなきみに似た 単純素朴な連中だ いっしょに来たまえ くよくよするな たとえ きみが知らなくとも わたしが知っているんだから わたしたちはどこへ行くか 知っているんだから うけあうよ くよくよするな ごく単純素朴なわたしたちが勝利するのだ たとえ きみが信じなくとも わたしたちは 勝利するだろう わたしたちは 勝利するだろう (スペインの批評家ガブリエル・セラヤの言ったように、つねにネルーダにとって「詩は未来をめざした武器」であった。この『オード集』においても、詩人は、ビラを配る活動家の同志たちとおなじように、詩を武器としてひろめている。) (6)人民軍の輝かしいオード 兄弟たちよ 前へ 耕された大地を 前へ 葡萄畑のなかを 前へ 冷めたい色をした岩を踏みつけよ ・・・ 前へ 前へ 前へ 前へ 炭坑のうえ 墓場のうえを 貪欲な 憎むべき死の前を 裏切者どもの 冷酷なテロルの前を 人民よ たくましい人民の心臓と銃よ 銃と心臓よ 前へ 写真家よ 坑夫よ 鉄道員たちよ 石炭と石の兄弟たちよ ハンマーを握る仲間たちよ 戦士よ 将校よ 軍曹よ 政治要員たちよ 人民の飛行士よ 夜の戦闘員たちよ 海の戦士たちよ 前へ ・・・ (自筆原稿) (7)春のオード (そうして勝利の春はつぎのように歌われる) 怖るべき季節よ 狂い咲くバラよ きみはやってくるだろう きみはそっと知らぬまにやってくる 顫える翼や 霧とジャスミンの花のくちづけのように・・・ 風が緑の手紙を運んでくる 木木がそれを読み 木の葉たちはふたたび 世界を見つめ始める・・・ ・・・ 小娘のような季節よ わたしはきみを待っていた さあ この箒をとって世界を掃ききよめよう・・・ そのとき人間は解放されるだろう 貧困から 塵芥(ちりあくた)から 借金から 傷口から 苦しみから おお 貧乏人たちのいなくなる夜の季節よ 貧乏もなくなる季節よ 香ぐわしい季節よ きみはやってくるだろう きみはやってくる 道の上を進んでくるきみが見える・・・ (新日本新書『パブロ・ネルーダ』)
一九五四年から書かれる四巻の『基本的なもののオード集』においては、ネルーダは基本的なもの(エレメンテール)を、一般に元素(エレノント)と呼ばれているものに限定せずに、人間労働によってつくり出された生産品や、人間生活に必要なものにまで拡大している。こうしてかれは、セロリ、ぶどう酒、パン、レモン、月、猫、象、ピアノ・・・・をうたい、「正義」や「民主主義」をうたう。
「テムコの自然は、強烈なウイスキーのようにわたしを酔わせた。やっと一〇歳になったばかりだったが、わたしはもう詩人だった。」
こういうネルーダは、これらの『オード集』においても、自然、大地、人類との対話・交感をつづけ、生命、現実、物との情熱的な対話をとおして、あたらしい発見をとりだしているのである。(『愛と革命の詩人ネルーダ』)