マチュピチュの頂き パブロ・ネルーダ 大島博光訳
(1)人間はとうもろこしのように 人間はとうもろこしのように納屋のなかにこぼれ落ちた 辛いことや悲惨な出来事が ぴんからきりまで つぎからつぎへと あとを絶たなかった ひとつの死が いや たくさんの死が めいめいにやってきた 塵のような 蛆虫のような 場末の泥のなかに 消えるランプのような 小さな死が ぶ厚い羽根をもった微塵の死が 毎日 それぞれの人間のなかに 短かい槍のように食いこんだ パンや匕首が 人間を責めさいなんだ 羊飼い 波止場の息子 鋤を操る名もない隊長 あるいはまた 密集した街の鼠など みんな衰えやつれて自分の死を待った 日日の短かい死を そうして彼らの日日の踏みにじられた不幸な苦しみは 黒い酒杯のようだった 彼らは顛えながらそれを飲んだ(2)力強い死は 力強い死は幾度となくわたしを誘った 死は 波のなかの目に見えない塩のようだった その目に見えない味わいがまき散らしたのは なかば深く沈んでゆくようなものであり なかば高く昇ってゆくようなものであり あるいは風と氷の厖大な建築のようであった そうしてわたしはやってきた 鋼の刃へ 風の隘路へ 農業と石の経帷子へ 星の空虚の最後の道へ 目のまわるような螺旋の道へ だが おお 死よ!広大な海よ! 波から波へ おまえはす速い夜の光のようにやってくる あるいは夜の全員のようにやってくる おまえはけっしてふところをかきまわすようなことはしなかった おまえの訪問は不可能だった 赤い服装なしには 囲まれた沈黙の夜明けのじゅうたんなしには 声高い泣きわめきやおし隠された涙の遺産なしには それぞれの人間のなかの 小さな秋(千の木の葉の死)を背負った木を わたしは愛することができなかった それらいつわり 死と 大地もない 奈落もない復活再生を わたしはもっとひろびろした生のなかを もっとのびのびとした河口を泳ぎたかった そして人間が徐々にわたしを拒み わたしの手があの傷つけられて存在しない泉にとどかないようにと 道と扉をわたしに閉ざしたとき そのときわたしはさまよった 通りから通りへ 川から川へ 町から町へ ベッドからベッドへ そして塩まみれのわたしの假面は砂漠をよぎった そしてランプもない 火もない パンもない 石もない 静けさもない 最後の湿った家々でただひとり わたしはわたし自身の死を死にながら転げまわった 訳注* この詩章は、「町から町へ ベッドからベッドへ」と歌われているように、一九四八年、大統領ヴィデラを弾劾したかどで、ネルーダが官憲から追われる「お尋ね者」となり、地下生活を余儀なくされた頃を歌ったものである。「あの傷つけられて存在しない泉」と訳したところは、"su inexistencia herida" (その傷つけられた非存在)となっている。詩人がお尋ね者となったように、彼の党も │ 泉も傷つけられ非存在となったという風に解釈して、訳者はこのように訳した。 (3)荘厳な死よ 荘厳な死よ 鉄の羽根をはおった鳥よ それはおまえではなかった あれらの住居の哀れな後継ぎたちが 急かされた食物とともに うつろな肌の下に抱いていたものは それはなにか 皆殺しにされた同類の哀れなひとつの花びらであり 戦いを知らなかった心のひとつの原子であり あるいはどんな額にも落ちたことのない何か苦い露だった それはよみがえることのできないものであり 平和も領地もない小さな死のひとかけらであり 彼のなかで死んでいった一片の骨 一つの鐘だった わたしはヨードの包帯をとり拂って手をさし込んだ 死を殺した哀れな苦しみのなかに そしてわたしが傷ぐちのなかに見出したのは ほかでもない 魂のぼんやりした隙間から吹き込む寒い突風だった (4)そのときわたしは大地の梯子を そのときわたしは大地の梯子をよじ登ってきた 消えうせた森の肌を刺す薮のなかを おまえのところまで マチュ・ピチュよ 石の階段から成る山の高みの都市よ ついに大地が眠りの衣の下に 隠さなかったものの住居よ おまえのなかには 二本の平行線のように 稲妻の揺りかごと人間の揺りかごが 棘のような風のなかに揺れていた 石の母よ 禿鷹たちの泡よ 人類のあけぼのに高く聳える岩礁よ 原始の砂のなかに消えうせたスコップよ ここは住居だった ここは畑だ そこにたくさんのとうもろこしの実が高く伸び そしてふたたび赤い霰のようにこぼれ落ちた ここでヴィクーニャの毛からつむいだ黄金の糸は 恋人たちや 墓や 母親たちを包み 王や 祈祷師や 戦士たちを包んだ ここで夜人間の足は 肉食鳥の高い巣のほとり 鷲の爪のそばで休んだ そして明け方 彼らは雷鳴の足どりで消えゆく霧を蹴散らした そして彼らは大地と石を知りつくしていた 夜や死のなかでも見分けのつくほどに わたしはじっと見る 衣服を 手を 潺潺と窪みを流れた水の跡を ひとにさわられてなめらかになった壁を そのひともわたしの眼で地上のランプを見 わたしの手で消えうせた板に油を塗ったのだ 衣類も 革も 壷も 言葉も ぶどう酒も パンも みんな消えて土に還ってしまったから そして大気は オレンジの花の手で すべての眠ったものたちの上を撫でて通り過ぎた 数週の 数ケ月の大気 千年の大気が 荒あらしいアンデスの青い風が 踊りまわる心よいステップの嵐のように 孤独な石の城砦をみがいてきたのだった (5)おんなじ一つ深淵の死者たち おんなじ一つ深淵の死者たち 深い奈落の亡霊たちよ こうしてきみたちの偉大さにふさわしいスケールで すべてを焼きつくすようなほんとの死がやってくると 穴のあいた岩から 深紅の柱頭から 階段状の水道から きみたちは転げ落ちた 秋のなかへのように おんなじ一つの死のなかへ きょう ひとのいないうつろな大気はもう泣かない それはもうきみたちの粘土の足を知らない 空を濾した水がめを忘れてしまった 雷の匕首が大気をひき裂いたとき 逞ましい木は霧に食われ 突風に吹き折られた 大気が支えていた一つの手は 突然 山の高みから時間の終点へと落ちた もはや きみたちはいない 蜘蛛の手よ 脆い糸よ もつれた布よ きみたちであったすべては落ちてしまった 習慣も すり切れた言葉も 光まばゆい假面も しかし 石とおしゃべりがあとに残る コップのような都市が 生きてる者 死んだ者 黙ってる者 耐える者 すべての者たちの手で建てられた たくさんの死による ひとつの壁 たくさんの生による 石の花びらたちの衝突 永遠の薔薇 住居 このアンデスの岩礁の凍てついた集落 粘土の色をした手が みずからもまた粘土となった時 ざらざらした壁に満ち 砦に蔽われた 哀れなまぶたが閉じた時 そして人間がみんな穴のなかにうづくまった時 正確さが高く掲げられて残った 人類のあけぼのの名所 沈黙をたたえたいと高い壷 たくさんの生のあとに残った一つの石の生 (6)わたしといっしょに登ろう わたしといっしょに登ろう 愛するアメリカよ わたしといっしょに抱こう 隠れた石たちを ウルバンバの銀色の奔流が その黄色いコップに花粉を撒く 晝顔の 石の植物の 硬い花冠の 虚空が舞い飛ぶ 山の柩の沈黙のうえを しがない小さな生よ やって来い 大地の翼のあいだを そのあいだにも │ おお 荒あらしい水よ 水晶のようなそして冷たいおまえは 大気をうちたたき 戦うエメラルドをまき散らし 雪から流れくだる おお ヴィルカマユよ 響き鳴る絃よ きみが きみの線状の雷を 傷ついた雪の 白い泡へと うち砕く時 垂直に吹きおろすきみの嵐が 歌い 懲らしめて 空を目覚めさせる時 きみのアンデスの泡から引き抜かれたばかりのひとつの耳に きみはどんな言葉を伝えるのか 誰なのか 冷たい稲妻をひっ捕え 山の高みの鎖につないだのは? 凍てつく涙のうちに再び出かけ す速い剣を振りまわし 戦いなれた羊毛の軍衣をうちたたき 戦士の寝床に案内され 最後の岩に躍りかかったのは? きみの追いつめられた閃きは何を語るのか きみの秘かな反逆の稲妻はかって 言葉にみたされて旅したのか 誰がうち砕くのか この凍った言葉たちを この黒い表現を この黄金の旗を この深い口を この奴隷の叫びを? きみの動脈の塩気のある水のなか 見るために大地から出てきた 花花の瞼を誰が切るのか きみの滝の手のなかを降りてゆく 死者たちの群を誰が投げ落すのか 地質学の石炭のなかに ばらばらにされた彼らの夜をばらばらにするために 誰が絆の枝を投げ落すのか 誰が別れをもう一度地に葬るのか 愛するものよ 愛するものよ 国境に近よるな もう沈んでしまった頭を崇拝するな 時間がその砕かれた泉のサロンで その偉大な仕事を果すにまかせろ そしてす速い水と城壁のあいだで取入れよ 隘路の空気を 平行した風の刃を アンデス山脈の盲目の運河を 露のきびしい挨拶を そうして登れ 花から花へ 茂みをよぎり 落ちてくる蛇を踏みつけて 切り立った地帯の 石と茂みよ 緑の星たちの塵よ 明るい森よ 生き生きした湖のような あるいは沈黙の新しい段階のような はじけるマチュールよ やって来い わたしの存在へ やって来い わたしの夜明けへ この冠を戴いた孤独まで 死んだ王国はまだ生きている そして「時計」の上を 残忍なコンドルの影が 黒い舟のようによぎる (7)天の鷲 天の鷲 霧の葡萄畑 失われた砦 見せかけの墓地 星をちりばめたベルト 荘厳なパン 滝のような階段 巨大な瞼 三角形の長衣 石の花粉 花崗岩のランプ 石のパン 鉱石の蛇 石の薔薇 地に埋められた舟 石の泉 月の馬 石の光 赤道の直角定規 石の蒸気 最後の幾何学 石の書物 突風に磨かれた氷の塊 沈んだ時代の緑石 指で磨かれて滑らかになった城壁 羽根に叩かれた屋根 鏡の花束 嵐の基地 書類にひっくり返えされた王座 血まみれの爪による支配 斜面に居すわる大風 動かないトルコ石の滝 眠っているものたちの酋長の鐘 支配された雪たちの首に輪をはめた晒刑 彫像たちの上に横たわる剣 近よれない激しい嵐 ピューマの爪 血みどろの岩 陰をおとす塔 雪の論争 指と根のなかにせり上る夜 霧の窓 冷酷な鳩 夜の植物 雷の彫像 基本的な山脈 海の屋根 はぐれた鷲たちの建築 天空の綱 頂きの蜜蜂 血まみれの水平 建造された星 鉱石の泡 水晶の月 アンデスの蛇 鶏頭の正面 沈黙の丸屋根 純粋な祖国 海の婚約者 カテドラルの木 塩の花束 黒い翼をもったさくらんぼの木 雪のように白い歯なみ 冷たい雷 爪でひっかかれた月 ひとを脅す石 凍った髪 空気の行動 手の火山 ほの暗い滝 銀の波 時間の管理 (8)石の中の石よ 石の中の石よ 人間はどこにいたのか? 空気の中の空気よ 人間はどこにいたのか? 時間の中の時間よ 人間はどこにいたのか? きみもまた 生を全うしなかった人間の うつろな鷲の ばらばらに砕けたかけらだったのか? きょうの街通りを通り 足跡をたどり 死んだ秋の枯葉のなかを 魂を擦りつぶしながら墓場へと行くのか? 哀れな手 足 哀れな生・・・ きみのなかの ほぐされた光の日日は 祭りの日の闘牛場のリボンのついた槍の上に降る雨のように ひときれひときれ 貧しい食物を からっぽの口に与えたのか? 秘かな植物よ たきぎ取りたちの根よ 飢えよ おまえの珊瑚礁の線は この捨てられた高い塔までせり上ったのか? 道の塩よ わたしはきみに尋ねる 左官の鏝をわたしに見せてくれ 建築よ わたしのするにまかせてくれ わたしが小さな棍棒で石の毛皮をいためつけ すべての空気の階段を空虚にまでよじ登り 臓腑をかきわけて人間に辿りつくまで マチュ・ピチュよ おまえは置いたのか 石のうえに石を そして奥底にぼろを? 石炭のうえに石炭を そして奥底に涙を? 黄金のなかに火を そしてそこに顛える赤い血の滴りを? おんみが埋めた奴隷を返してくれ 農奴の肢と窓をわたしに見せてくれ 話してくれ 生きてる時かれはどのように眠ったか? 話してくれ 疲労が壁のうえにつくりだす黒い穴のように 彼は口をなかば開けて いびきをかいて眠ったのかどうか? 壁よ 壁よ! 彼の眠りのうえに 石の階層はそれぞれ重くのしかかったのかどうか? そして月の下に落ちるように 眠りとともに その下に落ちていったのかどうか? 遠いむかしのアメリカ人よ 沈んだ許婚者よ やはりきみの指もまた 密林を抜けて 神々の高い空虚へと向い 光と貞節の婚礼の旗の下 とどろく太鼓と槍にまじって やっぱりやっぱり きみの指もまた 抽象的な薔薇や寒冷の線を運び 新しい穀物の血まみれの胸を運んだのだ 光る素材の織物まで 無情な深い穴まで 地に埋められたアメリカ人よ やっぱりやっぱり きみもまたその苦い臓腑の底に 鷲のように 飢えを隠していたのか? (9)兄弟よ 登って来い 兄弟よ 登って来い わたしといっしょに生まれよう きみの苦しみが散らばっているその深みから わたしに手をさし伸ばしてくれ きみは岩の底から二度とはもどって来ないだろう きみは地下の時間から二度とはもどって来ないだろう 嗄れたきみの声は二度とはもどって来ないだろう 抉りとられたきみの眼は二度とはもどって来ないだろう 地の底からわたしを見てくれ 静まり返った農夫よ 織物工よ 羊飼いよ 守護神の野生のリャマを馴らした者よ あぶない足場で働いた石工よ アンデスの涙の水を運んだ者よ 指をふみつぶされた宝石細工師よ 自分の種子のなかで顛えている農民よ 自分の粘土のなかに散らばされた陶工よ この新しい生のコップに注いでくれ 地に埋められたきみたちの古い苦しみを きみたちの血を 額のしわを わたしに話してくれ │ おれがここで拷問にかけられたのは 宝石が光らなかったからだ また石や穀物が間にあわなかったからだと わたしに指さしてくれ きみたちが倒れたその石を きみたちがはりつけにされた木組を 火をつけてみせてくれ 古い火打ち石を 古いランプを いく世紀ものあいだ 傷口にめり込んだ鞭を そして閃く血まみれの斧を わたしがここにやってきたのは 死んだきみたちの口をとおして語るためだ みんな散りぢりになって黙り込んでるきみたちのくちびるを 大地のなかでひとつにあわせてくれ そして奈落の底から話してくれ あたかもわたしがきみらといっしょに繋がれていたような あの長い長い夜について 何もかも聞かせてくれ 鎖のひとつひとつを 鎖の輪のひとつひとつを 足跡のひとつひとつを きみたちの隠しもった匕首を研ぎすまして そっとわたしの胸のなか手のなかにしのばせてくれ 黄色い光の流れのように 地に埋められた虎たちの流れのように そして思いきりわたしの泣くにまかせてくれ 幾時間も 幾日も 幾年も 暗い幾時代も 星のうつる幾世紀も わたしにくれ 沈黙を 水を 希望を わたしにくれ 闘争を 武器を 火山を きみたちのからだを磁石のようにわたしにくっつけてくれ わたしの血管にわたしの口に答えてくれ わたしのことばと血を通して語ってくれ (10)大気から大気へと 大気から大気へと 空の網のように 街々と気候のなかを わたしは行った 着いたかと想えば また別れを告げて 秋がきて 木の葉たちが金貨をくりひろげる中 そうして春と穂たちがやってくる中 なんと 落ちてる手袋の中のような大きな愛が 大きな月のように惜しみなくわれらに与えてくれることか (肉体の過酷さのなかで光り輝いた日日 沈黙の酸のなかで 鍛えられ変えられた鋼 粉ごなに砕かれた夜夜 婚礼の国の迫害された糸たち) ヴィオロンたちのなかでわたしを待っていたひとは しわがれた硫黄の色をした木の葉よりも深く 土に埋もれた塔のようなものを見つけた │ もっと深い 黄金の地層のなかに 流星につつまれた剣のように わたしはじっとしていない柔い手を差し込んだ 大地のもっとも生殖的なところに わたしは深い波のなかに額を入れ 硫酸の安らぎのなかを滴くのように降りて行った それから盲目者のようにふたたびもどってきた 陳腐な人間の春のジャスミンへ (11)たとえ花が花に たとえ花が花にその気高い種子を託そうと たとえ岩が 散らばった彼の花を 撃ちたたかれた そのディアマンと砂の服の中に守ろうと 人間は勇敢な海べの泉で摘んだ 光の花びらをもみくちゃに踏みにじる そして彼の手の中に脈うつ金属に穴をあける たちまち 衣服と煙のあいだ 沈んだテーブルの上に 妨げられた群集のように 魂が残る 石英と不眠よ 凍った池のような 大海のなかの涙たちよ それだけではない 花を殺せ 紙と憎しみで彼女に死の苦しみをなめさせろ 日日のじゅうたんのなかに彼女を沈めろ 敵意にみちた有刺鉄線の服で 彼女をひき裂け いや 回廊のなか 空気よ 海よ また道よ 誰が匕首もなしに(深紅のひなげしのような) 彼女の血を守るのか 怒りは 生の売り手の悲しい商品を品切れにさせた だが すももの木の梢に 露は 千年この方 その透きとおった手紙を残している 彼女を待つ同じ枝の上に おお 心臓よ おお 秋の窪みのなかでうち砕かれた額よ とある都市の冬の街通りのなかに あるいは バスや夕ぐれの船のなかに あるいはまた 深い孤独 陰や鐘のざわめく祭りの夜の孤独のなかに 人間的な快楽の穴ぐらのなかに 幾たび わたしはとどまって永遠を探し求めようとしたことか かって石のなかや くちづけの放つ稲妻のなかで わたしの触れた あの測り知れない鉱脈を (それは 穀物のなかを 妊娠した小さな胸の 黄金色の物語のように 一つの数を繰り返えしながらゆくもの 生の芽生える地層の中で絶えず優しさである数を そしていつも同じように象牙の中にこぼれ落ちる数を そして水のなかの透きとおった祖国であるもの 孤独な雪から血まみれの波にまでひびき渡る鐘) わたしのつかんだのは うつろな金の指輪のような 散らばった服 輝く秋の子どもたちのような 一連の顔とせっかちな假面にすぎなかった 彼らはおびえた民族の惨めな木を震わせるだろう わたしにはなかった 手を休める場所も 鎖でしばられた泉の水のように流れる場所も またわたしの伸ばした手に温みや涼しさを与える 石炭や水晶のかけらのようなしっかりした硬い場所も いったい人間とは何者だったのか? 倉庫と呼び子のなかの明けぴろげた会話のどこに その金属のような振る舞いのどこに あのうち破りがたい不滅の生は生きていたのか? (12)このすばらしい混沌のなかに このすばらしい混沌のなかに この石の夜のなかに わたしの手を滑りこませてくれ そして千年も囚われた小鳥のような 忘れさられたむかしのひとの心臓を わたしの胸のなかに脈うたせてくれ きょうは海よりも広いこの幸福を忘れさせてくれ なぜなら人間は海よりも島々よりも広大なのだから そして井戸の中に落ちるようにその中に落ちてゆかねばならない その底から 秘密の水や沈んだ真実の花束をかかえて ふたたび浮かび上ってくるために 巨いなる石よ 忘れさせてくれ 力強い均斉を ずばぬけた計量を 蜂の巣のような石を そして直角三角形に沿って わたしの手を滑りこませてくれ 血や苦しみのあった斜辺の上に 凶暴なコンドルがその飛翔のさなか 赤いさやばねをもった馬のひづめのように わたしのこめかみをうち叩く時 そして肉食鳥のその羽根の突風で 斜めの石の階段から灰色の埃を吹き拂う時 わたしの見るのは す速い猛禽ではない その爪の描く めくらめっぽうの輪でもない わたしの見るのは 遠いむかしの人間だ こき使われた下僕 畑で眠っている男だ わたしの見るのは ひとつの肉体 千の肉体だ ひとりの男 千の女だ 黒い突風の下 雨と夜に黒ずみ 重い石の姿をした むかしのひとだ ヴィラコッチャの息子 石切りのフワンよ 緑の星の息子 冷めし食いのフワンよ トルコ石の孫 裸足のフワンよ 兄弟 登って来い そしてわたしといっしょに生まれよう 訳注 * さやばね │ 甲虫類の鞘翅。 ** ヴィラコッチャ │ インカの雨の神。チチカカに住み、世界と人間を創造した。
「マチュ・ピチュの頂き」(1945年)はネルーダの傑作のひとつといわれ、十二の詩から成り、「大いなる歌」に収められている。 ネルーダがここで目のまわるような隠喩の積み重ねと、高まる抒情とによって歌っているのは、アンデス山中の荒涼とした大遺跡の、 その石の美やほろびさったインカ文明についてのロマンティックな夢想でもなければ、死や時間のきびしさや諦観についてのストイックな教えでもない。 かれが歌い呼びかけているのは、そこでこき使われて死んだむかしの人たちである。農奴、煉瓦工、織工などの遠いむかしの呻き声や苦しみをききとり、 それをうけつぎ、それをさらに現在と未来に投げかけているのである。 新しいたたかいのために。(「ネルーダ最後の詩集」)