ゴーシュロン「詩集 不寝番」

ヒロシマの星のもとに

 ヒロシマの星のもとに
          ジャック・ゴーシュロン
          大島博光訳
   1

  鏡で遊んでいる子どもの序曲

子どもがひとり 鏡で遊んでいる
太陽を手馴づけようと遊んでいる
それっ 跳べ!
太陽は鏡の中で跳びはねる

それっ 跳べ!
太陽は 従順なライオンのように
火の輪をとび越える

それっ もっと跳べ!
太陽は跳ねる また跳ねる
太陽は火の輪から跳び出てくる
いら立った野獣のように

すると子どもは言った
ぼく これが大好き!
ぼくは 太陽を手馴づけたんだ!
そして子どもは どっと笑った

彼は太陽をつかまえる
パーン!
彼は まばゆい太陽をまっすぐ
きみの眼の中に投げつける

まばゆい光に見舞われた者は
転げまわり飛び上がる
現場を押えられた影のように

   家族の父親

  錠前で遊ぶ子どもを
  放ってはおけまい
  マッチ箱や
  太陽で遊ぶ子どもたちを
  放ったらかしにはしてはならない

すると子どもはどっと笑った

   判事

  陪審員のみなさん
  どうかこの殺人犯 この放火犯に
  判決を下してください
  彼は 一束のまぐさを燃やし
  一四匹の兎を焼き殺したことを考慮して

すると太陽がぱっと笑った

ぼく これが好きなんだ と子どもは言った
ぼく 太陽を手につかんで
パーン!
ぼく これをボールのように投げるんだ
太陽は ぼくの思う処へとんでゆくのさ

   物理学者

科学的に申しますと
太陽は休むことのない
熱核反応であります
水素・・・

そして太陽はぱっと笑う

太陽は相変らず頭上に輝いている
けれども鏡は曇ってしまった

子どもは怒って言う いやこんなの好きじゃない!
もう なんにも始まらない!

みんなここから出て行って
ほら あなた方がぼくの太陽をふさいだんだ
そこを退いて!

しかしだれもそこにはいない
しかしもうなんにも始まらない!

  鏡のなかには
  奇妙なか黒い影絵
  灰や煤で描かれた太陽の素描
  火災の光景
  灰色の壁の上に残った人間の影
  稲妻の爪跡

ここから出て行って!
鏡は曇ってしまった

  わたしは光の中を通り過ぎる者だ
  いつも歴史の鍋の下で燃え立っている
  魔法の火の影だ
  生から死への 一瞬のスナップのような
  石のうえに映った太陽の影だ

  ちらっと姿を見せるいなや わたしは過ぎ去る
  おのれの姿を形見のように残して
  はかない影のわたしは行く わたしは行く
  人の世のことどもに震えながら
  どうやら何もわたしに脅かさないのに

  奇妙な太陽から生まれた
  ただひとつの影 ひとつの影とひとつの声
  ある朝 ヒロシマで


    2

   ヒロシマ 

ヒロシマは あけぼのという名を与えるために
ヒロシマは 花花について語るために

空は 桜の枝にかかっている
ひとつの丘の子守歌

ヒロシマは 四月について語るために
ヒロシマは 愛という名を与えるために

流れのうえの 銀の魚たち
微笑みのなかの 金魚たち

川の岸べの ヒロシマ
その手で海を捕えるため

ヒロシマ

原子爆弾から閃光が迸り出る
ヒロシマは 永遠に

ヒロシマは もう二度と
ヒロシマは 永遠に


    3

   戦争は終りに向う

戦争に敗れて 五年
国土は 傷だらけのオレンジでしかない
痛めつけられた顔

木の葉のそよぐ音さえひとつもない
恐怖の身震いひとつない

木の枝のきしむ音 ひとつない
そしてだれも気にかけない

息吹きひとつない 夜の壁のうえに
風のそよぎもない

死刑執行人どもは遠く 犠牲者たちも遠い
大地は知らない 空も知らない けれども

夜空の曇った硝子のうえを
爆撃機が一機 正確に
計算された軌道を飛んでいる

理由のない最後の犯罪が
空の鳩たちに蜘蛛の巣を張る

黒い文字盤の死んだ魚の眼のなかの
一粒の泡
移動する一つの黄色い点
次第に 文字盤の中央に向う
一匹の火の蠅

空のまばたきの時間
空がぐらりとゆらぐ
柱時計の
振り子の稲妻となる時間
大地がひき裂かれる

任務完了
朝の八時十六分
正確に

爆弾は目標に命中する
任務完了
この空間のなかに火山が出現する

筆舌につくしがたい苦痛と責苦拷問の上を
大火のなめた砂地の上を
灰に蔽われた川の上から
あぶくと鉄の潮がひいてゆく

大砲の口をした怪物
機関銃であざ笑う鰐
戦車をうろこに鎧った黒い竜
ムカデは乱痴気騒ぎに疲れる
その鼻づらには血がしたたり
その爪には肉がぶらさがり
戦争はその隠れ家に帰ってゆく
生き残った人たちは燠火のなかに
残酷さを越えて 火の地獄
屍体置き場がくりひろげられているのを見る

テロの王子たちは穴に隠れる
人間屠札殺場の大魔術師は口をつぐんでいる
人民を狂気へと導いた指導者は震えている
きのうの偶像はちぢこまっている
世界は彼らをひと目見て
あまりに小さいのに気づいて 驚く

地平線にそそり立つ
うつろな頭蓋骨を持った 市の骸骨
ねじ曲った骨組
まなざしのない窓

戦争の牝狼は遠くで断末魔の息を引きとる
沼の泥のなかで 廃墟の砂漠で

牝狼がまだ吠えるのは
おのれ自身の死のため

だれもいない 何ものもありはしない
名もない空間の中は別として
最悪の犯罪

心臓の搏つ音ひとつしない
大地はまだ知らんふりをしている


    4

   ヒロシマの聖セバスチァン

わたしは靴を失くした
わたしは十時の弁当を失くしてしまった
わたしはそこに持っていたのだ
そこに 腕の下に

わたしの脚を切り離しておくれ
この火の縄をほどいておくれ
その結び目がわたしのくるぶしを焼くのだ

   あなたの脚はくっついてはおりません

わたしは靴を失くしてしまった
わたしの素足の上のこの赤い火の玉をひき離しておくれ

   あなたのくるぶしは何もはいていません

わたしは着物をみんな失くしてしまった
わたしの手を切り離しておくれ
わたしは出かけたい この壁から離れたい

   あなたのこぶしのまわりには
   縄もひももありません

わたしは道に迷ってしまった
わたしの腕をほどいておくれ
わたしのからだを解き放っておくれ
鎖が巻きつき 火が肉のなかをぱちぱち音をたてて転げ廻る

   金属も溶けてしまいました
   あなたのからだには
   鎖などありません

わたしは出かけたい この壁から
この燃える石から 離れたい

   金属も溶けてしまいました
   水が煮えたぎっています

わたしはあの川べまで降りて行って
水を飲みたい 水を飲みたい
千の鋼の針がわたしののどを通る

   金属も溶けてしまいました
   水は煮えたぎっています

   川もまた火を運び
   火はくすぶり屍体を灰にします

わたしは道に迷ってしまった
千の射手が太陽の戦車に乗って現われ
千の甲冑がまばゆい輪をなす
千の射手 千の矢
一斉に放たれた千の矢が わたしを
この壁に釘づけにし わたしを傷つける

  傷口のない空間のなかで
  石弓は死に 吐きだすつばもない
  怒りと的に見合って
  弓をひきしぼる腕もない
  目から額へと
  飛んでゆく矢もない
  照準を合わせる時
  犠牲者の鏡のなかで
  面と向いあって みつめ合う
  そんなものはだれもいない

千の射手が太陽の戦車に乗ってやってきた

   金属は溶けてしまった
   水は煮えたぎっている

   夜の車に乗って
   やってくるひとはいない

千の鋼の針がわたしののどを通りすぎた
わたしのくちびるはどこに?

わたしの手を切り離しておくれ
わたしは自分のくちびるを探したい

   夜の車に乗って
   太陽の戦車に乗って

わたしは靴をなくしてしまった
わたしはこの壁から離れたい

   夜の車に乗って
   火はくすぶり屍体を灰にする

わたしは道を探す
もはや道が見えない
もうなんにも見えない

   夜の車の上の 千の太陽
   太陽の戦車の上の 千の夜

わたしの手を切り離しておくれ
わたしの自分の眼をみつけたい

   千の太陽と
   千の夜
   あけぼのは盲いている

わたしは出かけたい この壁から離れたい
わたしは疲れた わたしは血をなくしてしまった

   千の太陽
   千の夜

   赤く熱した鋼鉄
   赤く熱した血
   あたりはすべてほこり
   そして灰の夜

一斉に放たれた千の矢
そしてわたしのからだは一つの穴でしかない
そして千と千の傷

   肉体のない影
   影の影
   放射能を浴びた
   石のうえのひと影

狂った馬のいななきが聞こえる
目も見えず たてがみもない
石ころのなかで地面を蹴ってあがいている

   金属も溶けた
   水は煮えたぎっている

   肉体のない影
   岩のうえの一つのしるし

   ひとりの人間が死んだ
   そして千と千の
   十万の人間が死んだ
   おのれの時を待たずに
   死すべき時より前に

狂った馬のいななきが聞こえる
目も見えず たてがみもない
馬は廃墟のなかでよろめいている

   溶けた千の太陽
   放射能を浴びた千の夜

馬よ 馬よ
わたしはこの壁から離れたい

馬よ さあ 通れ 通れ
やっておいで 馬よ お前の足音がきこえる

ここにおいで 馬よ
おまえのいななきを聞いて
わたしも逃げよう


    5

   そのあとのきのこ雲

いま ヒロシマに雨が降る
灰と燠火の雨が降る

見てはならない!

抉られた大地から生まれた
気違い雲 それは
都市が灰になって降る雨だ

見てはならない!

雨がやんだ

砂時計を
ひとは地上にひっくり返えしたのだ

息をしてはならない!

ほこりが肌にくっついても
とってはならない とれば
肌はほこりといっしょに めくれ落ちる
だから 肌をこすってはならない

雨が降る 顔の上に雨が降る
この雨は 眼蓋を焼く

見るな!息をするな!
戦争が その末期に
新しい怪物を世界に解き放ち
ミイラのマスクを
未来のうえに投げかける

都市が灰になって降る雨だ
命が灰になって降る雨だ

息をするな!


   6

  女優ナカ・ミドリ 原爆死を演じる

劇団はサクラ隊と呼ばれた
すでに数ヶ月来
美女ナカ・ミドリは
『椿姫』の愛と死を演じていた

  ミドリよ 思い出せ 舞台で
  椿の花びらが
  蒼ざめたきみの手から散るたびに
  青い涙がいつも流れていた

「お医者の先生 わたしは白絹の
ショールを羽織りたい
震える肩を蔽うため」

  きみのためには 白い椿を
  ナカ・ミドリよ
  きみの髪には
  むかしのように 一輪の椿を
  
  劇はすでに始まり
  開幕のドラが世界に鳴り渡り
  都市は銅の大鍋のように鳴りひびいた

  これほど広大な赤い幕が
  史上 かって上がったことはなかった

「いまとなっては アルマンよ
愛と美について
どう語りましょう?」

「先生 助けてください
劇場はみんな焼けてしまいました
わたしは自分の役柄を自分で考えださねばなりません
真実の芝居で
わたしはゆっくりと冒険を冒すのです」

  この劇には 作者はいない
  台本もない
  だれもこの劇を知らない
  それは 新しい病いと呼ばれ
  不思議な悪のドラマと呼ばれる

  ストロンチウムのスポットライトを浴びて
  われわれは孤独で 防備もない
  放射能のフット・ライトの前で
  ひとは悲劇を演じる

「わたしは日々の白い階段を降りてゆく
わたしはゆっくりと白い森の方へ向う
わたしのまわりに雪が降る 白い雪のくちづけ
あの向うの川は熱の道です
はてしなく白い月たちが流れてゆきます」

「アルマンよ わたしはもう二度と帰ってこれないと
あなたに書かねばなりません
それはたぶん癌か もっと悪いものでしょう
わたしの皮膚は 風に舞う衣のように
わたしからはがれて飛んでゆくのです」

「先生 わたしに息を吹きかけて下さい 先生
日々は長い期待から過ぎ去ってゆきます
自分が考えだしたこの役柄がわたしには全くわかりません
いま 何が起きてるのでしょう?
ドラマはただ血の色に書かれるだけ」

  次の場面に 何が起きるのか
  わたしは知らない だれも知らない
  この悲劇をよみとり
  その神秘とその秘密を見破るために
  わたしは顕微鏡の目を借りよう

「鏡の前に座って わたしは髪を櫛けずります
すると髪の色は 風に吹かれる煙のように飛んでゆくのです
なんと髪の毛は 白かったのです」

「アルマンよ 美について 青春について
これからどう考えたらいいのでしょう?」

「これは 変な役柄です 先生
わたしはゆっくりと冒険を演じているのです
それはあなた方に時間を与えるためです
わたしの肉の中にしなやかな蘭が生えてきます」

  ミドリよ ミドリよ
  相変らずほの暗くて夜中
  血のドラマのなかは
  果てしもなく夜中

「桜の花の咲いた丘の夜中
五月の月の下で踊るのは どんなに楽しいでしょう

わたしの恋びとの手は 扇の愛撫
そのくちづけは わたしの花々の上に降るやさしい雨

夢みた子供をまもなくわたしは生むでしょう
子供はわたしに似てるでしょう

子供は桜の花のように微笑むでしょう
わたしの胸の月にむかって
そしてその真珠の眼をひらくでしょう

子供はわたしに似てるでしょう

先生 わたしをよみがえらせて
わたしのからだのなかには
死神よりもおぞましい死が住みついているのです
わたしの骨のひとつひとつの中に 地獄の鉄床

わたしは恐怖におののく者を生むのが怖いのです

燃える流れは 鳥たちの残骸のなかに
名もない死体たちを揺すり
わたしのからだは 月の光のなか
溺れた花々を流れのままに運んでいるのです
血のドラマのなかを
わたしはゆっくりと辿って 演出するのです
世界終焉による死を

いまとなっては アルマンよ
青春について 愛について
どう考えたらいいのでしょう?」

  ストロンチウムの照射のもとの
  ベータ線ガンマ線の照射のもとの
  原爆死

    さようなら さようなら ナカ・ミドリよ
    きみの勇気のために
    美しいきみの思いのために 一輪の椿を

    ひとひらの雪よ

きみを守る叫びをつくりだすために
きみには生涯が残っている

    白椿よ

ヒロシマを二度と

  ナカ・ミドリよ

    ひとひらの雪よ
   

    7

  ヒロシマの子供は大きくなる

あした ぼくが大きくなったら
お母さん ぼくが大きくなったら

  しかし死神は町々の戸口に居坐っている

新しい町の重い外套が ぼくの肩の上に
ぼくの少年時代の上に掛けられた

  しかし死神はやはり空地の縁に座っている

あした お母さん
ぼくが大きくなったら
太陽を手馴づけよう
生を映すすべての鏡を手に入れて
ぼくは学者になろう

物理学の世界に光をあて
ぼくは勉強してたくさんの友だちをつくろう
地球上のすべての研究所に
ぼくが大きくなったら

  しかし死神は道ばたに座りこんでいる

ぼくは学者となり 太陽を手馴づけよう
腕に抱えた揺りかごの重さに驚嘆する
すべての人びととぼくは知り合いになろう
生をかちとるすべての人びとと知り合いになろう
  
ぼくが大きくなるだろう
もろもろの神秘に光をあて
その解き明かされた神秘によって
科学は犯罪へと堕落する

戦争の地下壕の中の
一本の光の剣
いっしょに人びとは追いたてるだろう
餌ものの目つきをした 鴉の羽根の色をした人間を
勝利の先頭に立っている 先史時代風の人間を

  しかし 恐怖は戸口の敷石の上に居座っている

ぼくはゆく道をみつけよう
苦しみと無関心のあいだの通路をみつけよう
透きとおった涙のうえに
よき知性は光り輝くだろう

  しかし 死神は相変らず座りこんでいる
  戦略上の四辻に

ぼくは大きくなろう


    8

  ヒロシマの星のもとに

わたしは行く わたしは行く 消えやすい影よ
この世のなりゆきに顛えながら
どうやら だれも脅してはいない

この 痙攣のざわめきを耳にきくのは
わたしひとりなのか?

いや それは海ではない 砂利を揺すり
漂流物の思い出を果しなく運ぶ
怒り狂った潮でもない

いや それは 廃墟のオカリナのなかで鳴り
巨大なレーダーで指を打ち鳴らす
風ではない

ましてや 壁の向う側で
飼桶のなかで足踏みをしてる
豚たちの鳴き声でもない

いったい 何んだろう?

この痙攣のざわめきを聞くのは
わたしひとりだけなのか
どこから聞こえてくるのだろう?

禁止区域 警戒地帯
国家機密 番兵たち
入りまじった頭蓋骨と脛骨
高圧変圧器の周囲のような 死の危険
そして有刺鉄線で囲まれ

彼女たちはそこにいた コンクリートの地下墓地に
鋼の長椅子に横たわって
あいまい宿の娘たちのように大事にされて
彼女たちは 眠っている

つつましく 長くねそべって
不感症の女たちの肉体のように
彼女たちは 眠っている

彼女たちは いびきをかく
鼻の孔をふくらませて 酔った死者たち
原爆死を飲んで 酔っぱらう
それが ブロンズの彼女たちの脇腹でいびきをかく

パイプから吹き出すシュッーという音で
唸りをあげてまわるこま
爆弾

彼女たちは 大量虐殺に遭ってまどろんでいる
熱核反応を浴びた 彼女たちは
オルガスムへの夢想をつぶやいている

そしてそれは 仕事のないハイエナたちの唸り声だ
手のとどくところに
電話がある

この痙攣のざわめきを聞くのはわたしひとりなのか
死のスフィンクスたちの眠りは浅い


訳注* この詩はヒロシマ・ナガサキ被爆五周年を記念して作られ、『ウーロップ』誌に掲載された。
** ナカ・ミドリ 本名仲みどりは、一九〇九年、東京市日本橋区本町に生まれる。 一九四四年八月、丸山定夫のひきいる演劇集団「さくら隊」に加わって、ヒロシマに滞在中、世界最初の原子爆弾の攻撃に遭って、丸山定夫、園井恵子とともにその犠牲となる。 「さくら隊」は全滅する。